
あたしがまだ小学生だった頃 飼っていた文鳥に水浴びをさせていて(無理矢理に近く)死なせて(殺して)しまったことがある
母が パパに叱ってもらう!! そう激怒

が 仕事から帰ってきた父は勿論怒ることなどなく あたしと一緒に庭に穴を掘ってピータ (あたしが
「いいか? こんな小さなピータにも君と同じ生命があったんだよ 命の重さに小さいも大きいもないんだ 生あるものには必ず死があって決してそれは免れるものではないけど もっと優しく思い遣りをもって接せたはずだね 君だったらもう2度と同じことは繰り返さない これからはそうできるね」
今もその言葉を忘れない
あたしの保護活動の基は父のこの言葉なのである
高度成長期 まさに企業戦士だった父
家にゆっくりいたことなんて皆無だったような気がする
(働く男は家にいない これが定説だったのに 四六時中いるうちの院長 慣れるのが至難の業だった)
働き詰めに働いていた
ガラス瓶だった点滴の入れ物をプラスチック製の容器に開発したグループの責任者だった父
当時某大手製薬会社からヘッドハンティングされた父 そうなっていたら今の生活はなかったね
おとうさん!なんでそーしてくれなかったんだ と院長は大騒ぎしているけど・・・
今のこのあたしの選択が多分父の生涯で一番彼を喜ばせたものだったに違いない
(ろくでもない彼氏も驚くことはあっても反対されたことがなかったのがすごい)
1度だけ両親を目の前に☓婚すると伝えたことがある
母は絶句したあと
「 つっつっつ次の人がみつかってないのに・・・やめて! だからあなたは◯◯家の鬼っ子って言われちゃうのよ!! ◯◯家で離婚した人なんて1人もいないわ バカなこと言わないで頂戴 ぎゃんぎゃんぎゃん」
父は
「・・・判った 君がどうしてもそうしたいのだったらパパは反対しない でもちょっと冷静になりなさい
1年いや2年 今の仕事を自分のために頑張って自立するための お金を貯めること」
それを聞いた真友Dちゃんのだんなちゃん
「流石経営者・・・」
とほい目・・・
言われた通り冷静になってこんなに長く頑張れたしこれからも頑張るよ
全うできるよう天国から見守ってちょうだい 笑
身内だけの告別式
なんと土砂降りの雨

車に濡れないように急いで乗り込んだら思いっきりスネをドアにぶつける 目から火花級、痛すぎる

これからはお調子に乗っていないでしっかりしろという父の激でしょう 多分・・・
何がびっくりって

普通お坊さんの読経が長くて閉口っていうのは多々あるけど へ? しっかり相当額なお布施なのにたったそれだけ? っていう位短いお経 (COVID-19のせいもあるのかな?)
で なにこれ? お骨になったときに位牌に戒名じゃなくて父の名前がそのまま書いてあるじゃん
そんなの初めて見た!
後で母に聞いたら A君と (A君は真友の葬儀屋さん) 面倒だからそれでいいって決めたとか・・・
そんなのってありか

まぁ お墓に入れてもらうのに後で戒名作らされたんだけど・・・w
A君関連記事 おーっ 懐かしい あたしの顔面咬んだ凡選手も登場!
http://newcaja3k.blog92.fc2.com/blog-entry-610.html
http://newcaja3k.blog92.fc2.com/blog-entry-836.html
んで
そーんな話や相談は一切なかったけど、ちゃんと遺言状も出来ていた
遺産すべて母1人が相続、信託銀行に任せてあって(手数料がべらぼう)
お墓まで決めてあって・・・(場所が遠いよっ!! それにあたしの意に300%反するタイプ及びシステムのお墓)
げんなり

あと3ヶ月で1周忌
父が残した沢山の本 そして手記 日記
父の字を見るのが悲しくて淋しくてとってもその気にはなれなかったけど
これからちょっとずつ読んで行こうと思う
目を閉じると この上なく温かく笑っているあなたの顔が浮かびます
パパ いっぱいいっぱい愛してくれたこと 有難うございました
感謝してもしきれない
Great thanks to you my bestie daddy
愛父の 卒寿祝いし 夢の中



