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その⑨


公開論議書Ⅳ⑨
http://www.go.tvm.ne.jp/~…/Hiroaki/remark/sotensya/Q-No9.pdf

回答 ⑨

1月14日付「公開論議書Ⅳ」をいただきました。私の回答をネットでお読みくださったとのことですが、10日に発送しましたので、すでにお手元に届いていると思います。
いずれにしても今回の回答でもまだご不満のようですので、これまでと同様、石川さんの項目ごとにお答えします。ただし、議論を正確にするために、これまでの石川さんと私とのやり取りから直接引用して示しますので、文書の量が多くなります。「質より量」を意図しているわけではありませんので、ご理解ください。

1.この項目は、ほとんどもう論争する必要がなくなったようです。残っている問題は、私が政策立案過程に参画したいなどと書いたことは一度もないということです。石川さんは私とのやりとりから幾つもの文章を引用して示しておられますが、きちんとお読みください。私の文章のどこに私が「参画したい」と書いていますか? 石川さんが一部分引用しているように、たしかに私は「政策立案作業に私が参加できるならば参加します」(第一回回答、10 月 17 日、1 頁)と書きました。その後も、石川さんが私の文章を幾つか引用されているように、現在の国のやり方が改められ、きちんと政策が立案できるような場がもたれるのであれば、参加する旨書いています。ただし、それは私が「参画したい」ということとは違います。それを私はすでに次のようにきちんとお答えしています。「念のため申し添えますが、私は日本の国の政策が一部の利害関係者だけで作られてきて誤っていると主張しています。そして、政策は広い意見を採り入れるべきで、もし私がその作業に参画できるなら参画するとも書いていますが、喜んでその作業に参加する気があるわけでもありません。現在の厳しい差別の世界の中で、私は1日48時間欲しいと思うほど、やりたい仕事があります。それでも現在の日本の硬直した政策を改められるのであれば、政策を検討する作業に携わってもいいと思っています」(第 5 回回答、11 月 30 日、4 頁)。そして、これらの文章を私が書いた動機はむしろ引き続いて書いている次の文章のためです。すなわち、「ただ、それはお互いに関連した厖大な作業の一部を私が担うということなのであって、その作業に携わっても居ない石川さんや私が、その作業内容を今ここで議論することではありません」(同じく第 5 回回答、11 月 30 日、4 頁)。はっきりと書いているように、私自身は石川さんと私との間で政策の議論をすることは意味がないと思います。もし石川さんが政策について議論したいのであれば、それなりの場に参加しておやりください。

2.当然公開されるべき情報が全面公開されていないことは事実です。実にけしからんことだと私は思います。石川さんはそう思いませんか? そのため、各地の住民たちは裁判を含めたさまざまな闘いを起こし、旧動燃のやった高レベル放射性廃物の調査についての多数の資料を公開させるようにしてきました。今後も、各地の住民たちがその闘いを進め、一歩一歩公開させていくものと思いますし、私は彼らに協力します。
間違っても、石川さんが言うように、処分場の公募に応募することで資料を公開させようなどとは思いません。
なお、「協定を締結し、地層調査に限定すれば良いのです」などと石川さんは今回の論議書に書かれていますが、現実をご存じないのでしょうか? 破綻した財政にてこ入れするために、地層調査を受け入れるような自治体は、仮に協定書を締結したとしても、財政はいっそう悪化するだけで、いずれは受け入れさせられてしまいます。一度原発を受け入れた自治体が、膨張してしまった財政を維持するために次々と次の原発建設を受け入れざるをえないのと一緒です。
石川さんは鳥取ウラン残土裁判のことにも触れていますが、事実をちゃんと勉強してください。その裁判に関してはすでに次の書籍に詳細に記載していますので、必要ならお読みください。
土井淑平、小出裕章「人形峠ウラン鉱害裁判」批評社、2001旧動燃が鳥取県の方面(かたも)の自治会と残土撤去の協定書を締結したのは 1990年の 8 月です。しかし、公文書で約束した残土の撤去を旧動燃は「撤去先がない」との理由でずるずると先延ばししました。そしてその間にも地縁、血縁、行政を使った集落の切り崩し工作をしたのです。住民たちの結束は何度も窮地に立たされました。
しかし、榎本益美さんという傑出した人物がその集落にいてくれたことも幸いして、自分たちの集落を昔の静かな集落に戻して欲しいというただそれだけの願いで結束を維持しました。それらの条件があったため、10 年もの苦しい闘いを経てようやくに住民たちは裁判に訴えることもできたのです。そして裁判では当然のごとく住民が勝訴しました。しかし協定書などあっても、もともと住民の結束が維持できなければ、結局は石川さんの言う「政府強権派」に敗れてしまいます。

3.今回添付してくださった読売新聞の社説や京都新聞の記事については、私からコメントすることはありません。すでに前回の回答で私は「今現在の世界も米国を中心にした強国の思惑で、意に従わない国は転覆させられたりします。当然、どの国にも生き延びるための国家戦略があります」と書いたとおりです。日本は石川さんも書いているとおり「貧資源国」です。しかし、その日本は一人当たりにすれば、世界平均の 2倍以上のエネルギーを使っている国です。全量輸入に頼っているウランを含め、エネルギー資源の 95%以上を輸入しています。石川さんはエネルギー「争奪戦」と書かれていますが、「争奪戦」を続ける限り、世界に平和は来ませんし、いつまでも日本が「争奪戦」に勝ち続けられる道理もないのです。何度も書いたことですが、「貧資源国」であるならば、エネルギーをもっと使わない社会を築くしかありませんし、地下資源に依存しないように自然エネルギー開発こそ進めなければいけません。そして、何度も繰り返してきたように、そうするためには長い時間がかかるのであり、一刻も早く政策の転換を始める必要があります。
この項で石川さんが書いている残りの部分も、特に私からコメントする必要はありません。科学や技術は一歩一歩進みます。日本の高速増殖炉開発が示したように、厖大な投資をしたところで成果が上がらない場合もありますが、それでもこれまでの日本の自然エネルギー開発のように、資金すら与えられないのでは成果が得られないのは当然です。日本のような貧資源国は少しずつでもエネルギー源を再生可能エネルギー源に変えていかなければならず、そのために投資すべきです。

4.この項での石川さんの主張も相変わらずですね。もともとこの項の議論は第一回の公開質問状で石川さんが「不安定な電源を主要電源にするわけにはいかない」(10 月 10日、1 頁)と書かれてきたことに対して、私が「太陽光発電や風力発電を含め、いかなる発電方法にも固有の問題があることは当然です。しかし、事故があればいっせいに停止を余儀なくされる原発にもまた安定供給に問題があります。原子力は安定電源だなどという主張であれば、そもそも誤りです」(10 月 17 日、1 頁)と書いたのです。そして、2002 年の東京電力のデータ改竄・隠蔽事件を契機に東京電力の全原発が停止に追い込まれた事実を示しました。石川さんはそれでも「計画的」に停止したのだから「安定電源」だと言っており、もともと議論がかみ合っていません。
いかなる電源にも固有の問題があるのです。石川さんは自然エネルギーは自然条件に左右されるゆえに安定電源ではないといい、原子力はそうではないから安定電源だと主張されます。しかし、自然エネルギーでないという点だけを取り上げるなら、石油・石炭・天然ガス火力発電もそうです。私は原子力を即刻廃絶し、過渡的には化石燃料に依存すると主張していますが、その火力発電も石川さんの論理に従えば、もちろん安定電源です。ただ、そういうと石川さんは今度は火力発電は燃料確保に問題が生じると言うのです。そんなことは当たり前なのです。初めから私が書いているようにすべての発電設備には固有の問題があります。電力を安定的に供給するためにはそれらの利害得失を組み合わせるしかありません。ただし、これも何度も繰り返しますが、原子力は資源的に貧弱で、事故のリスクが大きく、そして生み出すごみの始末を知らないが故に一刻も早く廃絶すべきと私は主張しています。
なお、事故が起きたために原子力がいっせいに停止せざるを得なかった他の事例も挙げろとのことですので、一つ事例を挙げておきましょう。ご存知のことと思いますが、1979 年 3 月 28 日、米国ペンシルバニア州のスリーマイル島原発で事故が起こりました。その炉型が加圧水型炉であったため、当時日本で稼動していた 8 基の加圧水型炉はすべて停止に追い込まれました。その経緯を下の図に示しておきます。スリーマイル島原発が事故を起こす前日の27日に商業運転を開始した大飯1号炉すらが停止に追い込まれ、5 月には全 PWR が停止さざるを得なくなりました。


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5.この項は反論の必要がまったくありません。どの様な研究開発に国の資金を配分するかは、もちろん冷静に判断すべき事柄であり、原子力一辺倒であった従来のやり方は誤りです。

6.今回の石川さんの文書に「私は、貴方の相談を受けて助言しているわけではありませんし、こうすべきだと命令しているわけでもありません」とありましたので、それで結構です。長い間、石川さんは私の生き方にあれこれと注文をつけてこられましたが、この問題はようやく決着しましたね。

7.石川さんが「全体的な事実(真実)」と呼んでいるものは、「全体的な事実」のうちの石川さんが見ているほんのわずかな部分にしかすぎません。敦賀のタクシー運転手の人が原発の利益を受けている、あるいは沖縄の人にも米軍基地の利益を受けている人がいるというのはたしかに事実の一部でしょう。しかし、そんな事実は事実全体のほんの一部を占めるに過ぎませんし、そうだからといって電気を使わない過疎地に原発を建てたり、米軍基地を沖縄ばかりに押し付けたりすることが正当になるわけではないのです。
この項の後半で石川さんが書かれていることも、前回も書いたとおりすでにきちんとお答えしたことです。私は「都会で原発事故が発生してもいい」と主張しているのではありません。すでに第1回の回答で「議論は正確にすべきものと思います。私は原子力発電所が大事故を起こす可能性があることを長い間主張してきました。それは原子力発電所が都会にあろうと田舎にあろうと同じです。しかし、都会で必要とする電気を得るためにリスクだけを田舎に押し付けてきたこれまでのやり方が根本的に間違っていると言っています。原発事故はどこで起こしてもいけません。そのためには、原発そのものを廃絶するしかないのです。集会当日会場で発言しましたように、前日の岐阜での集会で使った私のレジュメを添付します。ご参考になれば幸いです」(10 月 17 日、1 頁)と書きました。
それに対して、石川さんは第 2 回の公開質問状で、「回答書内容(議論は正確にすべきものと思います)に基づき何度も聞きなおしましたが、確かに『広井さんがおっしゃったように、何か事故が起こって、都会で起きればリスクは大きい、たくさんの人が犠牲になる。でもいいですよ。私はそうなった方が良いと思います』と話されています」(10 月 21 日、1 頁)と書かれて来ました。その石川さんの指摘に対して私は第 2 回の回答において次のようにお答えしました。
「『議論は正確にすべきものと思います』と私が書いたことに対して、何度もテープを聞きなおされたとのこと、ご苦労様でした。ただし、私が言っているのは言葉尻の問題ではありません。当日の議論で、私はこれまでの原子力開発が破局的な事故を『想定不適当事故』として無視してきて、その危険性を隠してきた上に成り立ってきたことを取り上げました。そのような原子力の進め方の中で、電力を大量に消費する都会がリスクを負わずに、過疎地に負わせていることに反対だと発言しました。都会の人たちも原子力のリスクがどのようなものかきちんと考えるべきですし、当然国こそがそのリスクを明らかにすべきなのです。電力生産による利益を受けないままリスクだけを負わされ、本当に過疎地の人々が犠牲になるよりは、過疎地にリスクだけを押し付けて利益を得てきた都会の人たちが犠牲になる方がいいと私は心底思います。ただし、都会の人々にしても、原子力が抱えるリスクの情報をきちんと与えられるのであれば、原子力発電を受け入れないと私は思います。誤解の上での不毛な議論を避けるために、私は先の回答に岐阜での集会で使った資料を同封してお送りしました。必要であれば再度お読みください。」(10 月 24 日、2 頁)
これ以上に引用を重ねる必要はないはずですし、前回の回答で「再度私とのやり取りを読み直してください。相手が言っていないことを、思い込みだけで批判しては、議論が成り立ちません」と書いたとおりです。

8.この項もすでに前回お答えしました。石川さんとお仲間の方々が私の主張をどう評価されるか、私は興味がありませんし、ご自由です。どちらの論理が正しいかは、読者に任せましょう。もちろん、石川さんとのやり取りが続く限り、私がネット上から削除するようなことは決してありません。

9.石川さんは今回、「『核兵器を製造、保持しない』を憲法前文か第 9 状(ママ)に書き加えるべきと提言などしてきたのです。私は考えるだけではありません。多くのことを実行しているのです」と書かれて来ました。ただし、石川さんの思惑とは関係なく現在進んでいる改憲論議は「第 9 条」を改悪して戦争への道を開こうとしているのです。そのような時に改憲を主張することは誤りです。「核兵器を製造、保持しない」ということだけであれば、憲法に手を加えずとも、明確な法律を作ればいいのです。しかし、そうした試みは未だに実を結ばないままきています。なぜなら、原子力を進める動機の一つに核開発の潜在的な力量をつけることがあるからです。
石川さんが「民主社会が継続するような議論をしましょう」と書いている点は、こちらからお願いしたいところです。すでに前回の私の回答で書いたように、大きな歴史の流れの中では、個人の力はとてつもなく小さいのです。もちろん大きな流れに抵抗する個人はいつの時代もいましたが、多大な犠牲を伴いながら抹殺もされてきたのです。核を廃絶するための最良の道は、個人の決意に頼るのではなく、その核=原子力の技術に手を出さない、そして核兵器の材料であるプルトニウムを抽出しないということです。

10.石川さんが今回引用した文章は以下の URL にあるものです。
http://uranzando.jpn.org/uranzando/shimin/002.htm
ついでに同じ趣旨の文章をもう一つ書いておきます。
「ただし、裁判官もサラリーマンである以上、仮に正しい知識を持っていたとしても、国の原子力政策に反対しては出世を望めないであろう。卑屈とも、哀れとも思う。しかし、それが現実であることを私はたびたび経験してきた。それでも私は願う。裁判官たるもの、人を裁くにふさわしい人間であって欲しい。」これはウラン残土訴訟の高裁判決を受けて書いた感想です。ご存知かもしれませんが、以下の URL にあります(どちらも、同じ文章です)。
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Ningyo-toge/realness.pdf
http://uranzando.jpn.org/uranzando/e_sosho/28.htm
そして、当然お読みくださったものと思いますが、いずれの文書も裁判の中で何が争われ、裁判官がどのように判断したのか、その判断がどうして誤っているのかも書いてあります。またこれもご存知のはずですが、私は裁判の中で合計 8 通の意見書を書きました。その中で、微量放射線であっても被曝には必ず影響が伴うということを懇切丁寧に説明しました。そうした私の主張そのものに誤りがあるというのであれば、ご指摘ください。石川さんが議論そのものに集中してくださるなら、いくらかましなやり取りになるだろうと思います。以上




読みたくないけど質問も読んでいる
この質問者は本当に人の話を全く聞いていないと言うか都合の悪いことには一切触れないというスタンス、最初の最初からもし議論に勝つ負けるという次元で鑑みるととっくに質問者は負けているし勝てる見込みなんてサラサラない(小出先生も勝とうなんて全く思っていないと拝察)
ただただ原発のこと それに関する色々な事実 これは誰も知らない 知らされないから そして知る機会があるのに知ろうとしない こういう縮図が定着しているから敢えてここで紹介させてもらうのです
あたしの拙いブログを観て下さる数人の人から、原発にまつわる事実を知る人が増えてどんどん広がって行って欲しい 根底にあるものが全く国民のためを思っていることからはかけ離れたものであることに気がついて欲しいのです
(小出先生の回答は質問者の質問を読んでいなくても都度とても理解しやすいです 難しい言葉で塗り固められていないし誰にでも判るように噛み砕かれていて参考になります)

この質問者は 原発が立地された過疎地にもメリットを被っている人達がいる とタクシーの運転手さんの話を毎回だして吠えています
そして事故が起きてしまったときに少しでも被害を少なくするために人口の過密ではない地方がいいのがあたりまえだとも言う
人命の尊さにこっちはよいけどあっちはダメ少ないほうが多いよりいいなんてことがあるわけない
騙されて、いいことばかり教えられて本来原発の持つ途方も無いリスクは原子力安全神話の傘のもとに隠し切る

そうじゃないのね 事故が起きたら1つ1つのメリットなんて瞬時に吹き飛んでしまうほどのダメージが急襲、逃げること叶わず、そしてそのダメージは更に増えても亡くなることがなく有り続ける それは日本国全て世界の果までにも波及していくということ
質問者の掲げる原発ありきの理由なんて比肩できないほどのデメリット リスクがあるということ
何故原子力でないとダメなのか
今回ヒョコリ出てきたプルトニウム 常時新鮮なプルトニウムが必要な理由はね
憲法9条を改定して他にも色々自分たちに都合の良いように それは突き詰めていくと国民の幸せなど微塵も必要としていない主旨、ごくごく一部の勝手な人間たちの思惑につながっているわけだ
この質問者、その集合体に自分も含まれていると思っているのかな

東都新聞なんて初めて聞いた よみうり系ね 納得 
読売新聞なんてマジ呆れる
今はもうやめているけど実家で読売新聞観た時は気絶するほど驚いたね
「だって 取るって約束しちゃったのよ トイレットペーパーもらっちゃったし・・」
こっこっこの◎△母めっ!!
自分の身内がこれだもんね 
「そんなに怒らなくても・・・でも夕刊はとらないことにしたのよ 夕刊は」

そーいう問題じゃねーっつの 


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